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現役時代の16年間、ずっとナイキのスポンサードを受けてきました。私がナイキのシューズを履き始めた頃は、ちょうどエアマックスが大ブレイクした年で、新しいエアマックスを履いていてみんなに羨ましがられたのを覚えています。
普通選手とメーカーの関係は物品を提供するされるという関係が主ですが、ナイキは少し違っていました。海外に出ることを支援したり、また新しいことを仕掛けることを常に意識していました。どちらかというと私が得たのは物品よりも、どのように世の中の注目を集め意識を変えていくかという手法でした。私が陸上の短距離初のプロ選手になりたいと相談した時も、即答でやるべきだと言ったのはナイキだけでした。理由は”一番最初だから”でした。
物語は創業者であるフィルナイトの視点から描かれた自伝小説のようです。20代の時に自分の愛せるもの、つまりランニングに人生を駆けようと決意して、それから本当に激動の人生が始まります。常に資金繰りに喘ぎ、onitsukaとの契約が危うくなり慌てふためき、債権者に責められ、時にはギリギリの手法で情報を盗み取る。すでにある程度出来上がったナイキしか知らない私からすると、こんなにも危うい道を進んできたのかと驚かされました。例えば日商岩井の決断がほんの少し違うだけでも、ナイキは存在せず、私もまたナイキと契約することはなかったのかもしれません。
全体を通して、計画し巧みに登りつめたというよりも、まるで無計画にひたすらに限界までトライし、そのせいで窮地に陥り、それをなんとかしのいできたという印象を持ちました。
読みながら何かに似ているなと思ったのは、若く反骨心のあるアスリートの姿です。歴史に名前を残すんだというだけの野心で、危なっかしく自分の身を顧みないで、駆け抜ける。時には過剰なまでに権力に楯突くというところもそっくりです。スポーツビジネスの創業者の物語を読んでいるはずが、アスリートの回顧録のように感じさせられました。
現役時代からこれまで私はずっとナイキは”スポーツをビジネスにした”会社だと認識していました。スポーツがそんなに大きなビジネスになるなんて思いもしなかった時代からここまでの大きな産業にしたことがナイキが行なったもっとも大きな功績だと考えていました。ですが、この本を読んで、感じたのはむしろ”ビジネスをスポーツにした”ということが彼の功績ではもっとも大きなことなのではないかと感じさせられました。誰もが働くことの意義を一度は考えますが、この本は強烈なメッセージを我々に残します。
”お前の人生はそれでいいのか、やり残したことはないのか”
日々自問自答し、自らを限界に引き上げていく。その繰り返しこそがスポーツであり、彼が事業を通じて行なっていたことはまさにそれだったのだと思わされます。
フィルナイトがナイキを通じて広げようとしていたものがなんだったのかをぜひ読んでみてください。
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