Thinking In The Past.

全力について

2015.01.21

人間には限界がある。できることとできないことがあり、努力してもなんともならないことがある。ただそう言い切る前に大事なことが一つあって、それは努力というのがどの程度を指すのかが人によって違うということだ。

長い間競技をやってきて思うのは、全力を出したことがある、または出すことができる人は案外と少ないということだ。中には7割の力のことを全力だと思っている人もいる。嘘をついているのではなく、人生で7割しか出したことがないから本当にそれが限界だと思っている。昔地球の端っこは崖だと信じられていた。行ってみるまではどこが端っこかわからない。ここまでが限界だと思っていたところを越える瞬間があった後、それまでは全力を出していなかったとようやくわかる。

全力を出すことは怖い。まず全力を出し切ると疲弊して、くたくたになる。だから、ついペース配分をしてしまうが、その状態で全力を出すことはとても難しい。力を配分するということは余裕を残すということだからだ。一方で、全力は痛くも苦しくもある。自分が傷つくかもしれないという恐れがあって全力を出すことは怖い。そして全力はコントロールが効かない。

全力はなりふり構わない状態で出る。どう思われても構わない、どうなったって構わない。ある種の狂気の状態で全力は出る。本当の全力は、自分の身の安全すら二の次になる。一度でいいから人生でこの瞬間を経験している人がいう”努力でもなんともならないことがある”は信じられるが、一度も全力を出したことがない人は”努力しきったことがないから、努力でなんともならないことがあるかどうかもわからない”というのが正確なところだろう。

ずっと全力でなくても構わないが、一度でいいから本気で何かに力を出し切ることは限界がどこかを悟る上でも大事なことだと思う。スポーツはほとんどの人が勝者にはなれないが、この全力の出し方を覚えるという点でとても貴重な機会だと思う。私は全力の出し方は応用可能だと考えている。

自分には未だ見知らぬ自分がいる。全力とはその自分に出会うために必要な儀式といえる。