昔よりはましになりつつあるとはいえ、世の中には問題が未だに多いし、理不尽な出来事も多い。社会の仕組みも、企業も、それから政府も完璧ではなく問題がある。また何も罪を犯していない人に辛い出来事が降りかかったり、一方で悪いことをしても何のお咎めもなしに生きている人もいる。
問題に面した時、仕方ないよねと諦めるではなく、だったら自分に何ができるかと、問題を解決しようと頑張る人もいる。こういう人のおかげで社会は問題を一つ一つ解決してきたのだと思う。
ところが問題に怒る人の中に、常に怒っている人がいる。確かに問題を解決しようとしている人の多くは怒っている。けれども怒っているのは対象に対してであって、それと個人の人生は関係がない。幸せな毎日を暮らしながら問題解決に取り掛かってももちろん問題はない。
皮肉なのだけれど、幸せそうな人には人が集まってきて、たくさんのいい仲間ができる。いい仲間はいい人を呼んできて、大きな力になる。大きな問題を解決する人はその人自身が魅力的で人を引きつけてきたように思う。いつも怒っている人と友達になりたい人は少なく、いつも怒っている人の周りにはそんな人があつまり余計に近寄りがたくなる。
いつも怒っている人は対象はなんでもとにかく怒っている。遠くから眺めると対象に怒るというより、その人自身の中に怒るべき理由があるように見えてならない。それがなんなのかは外からは理解できない。理解しようと近づくことが憚られて、近寄る人は少ない。
問題を解決するとき、実は一番有効な手は、自分の抱えている問題を解決すること、ないしはそれを認める努力をすること。人は問題に対して共感するのではなく、人に対して共感する。