Thinking In The Past.

人生は手段か目的か

2014.12.20

世界を変えるんだという若者がいる。このサービスを作ればきっと世界は変わって人々は幸せになると若者は信じている。朝起きると今日はこれをやるんだ、今年はこれを成し遂げるんだ。若者の毎日は輝いている。

日々の営みは、手段かそれとも目的か。若者の夢は叶わないかもしれない。それでも若者は振り返った時、何かを目指すことで充実していた日々があったことに気づく日がくるだろう。夢を叶えようとすることで日々は輝いているのか。それとも日々を輝かせるために夢を叶えようとしているのか。

観音様に毎日お参りにいく村人がいる。毎日毎日、来る日も来る日も、お参りにいく若者にたまりかねて住職が尋ねる。

”お前さんいったい何をそんなにお願いしているのかね”

村人は答えた。

”私は観音様をとても尊敬しているのです。だからいつもこうお願いしているのです。観音様、どうか私から煩悩を取り除いてくださるな。これがないとあなた様のありがたみがわかりませぬ”

火事を世の中からなくすことが、消防士の目的だけれども、完全に火事がなくなった世界では消防士は一体何を目指すのだろうか。問題を解決するために様々な手段を考えそれを実行する。そしてまさにその手段の実行の繰り返しことが私が生きている毎日になる。

人生は何かを達成するための手段だろうか。それとも日々生きている人生そのものが目的なのだろうか。人生は日々の営みで構成されていて、そしてその営みが終わる時人生が終わる。