自虐的な自らを笑うように語る人は多い。自らを笑い者にするという事は、ある意味で最も余裕を見せることなのだけれど、それがゆえに本質的に自らを笑い飛ばすことは思っているより難しい。笑っているように思えて本当は笑えてない時も多い。
自らを自虐的にとらえたところで、その劣等感自体が消化しきれてないと中途半端になってしまう。自分を笑い飛ばしておきながら人に笑われると傷ついたり、腹がたつ。笑わせることには慣れていても、笑われると急に怒る人もいる。笑われ、笑うことができるにはそれを本当に消化しないと難しい。
ある大学のチームスポーツの出身者が社会でたくさん活躍していて、その理由を聞いたことがある。そこは文化的に入ってきた新人をいじり倒すらしい。プライドも何もなくなるぐらい、いじられ、劣等感を感じていることも晒され、みんなに笑われきった先に、怖いことがなくなって何でもできるようになる。だから社会に出て基本的に危険は避けても、プライドが傷つくような局面での恐怖心が全くなくなる。それが理由じゃないかと言っていた。
振り返ってみれば、競技をやってよかったのは人前で負けたことだった。負けたのはあいつだ、と周囲から笑われて馬鹿にされるような勝負を経験するともう逃げられなくなる。お前負けただろと言われると、事実は事実だから受け入れるしかない。そして段々とふてぶてしくなっていく。勝負をしなければ負けを知られないで済む。
自虐的に自らを笑いながら、一方でプライドの高さが匂う。プライドを守るために先に笑っておく人もいる。自らを笑い飛ばすには、結構な時間と対峙がいる。