Thinking In The Past.

触れてはいけない人

2014.10.02

触れてはいけない人がいる。目の前の人間に勝つかどうかが全ての比較の人生を生きている。自分が他者より劣っていると感じる事がたまらなく嫌で、他人を褒める事ができない。何にでも張り合い、諦める事ができない。基本的には皮肉を言っている。素直になれない。笑った時、少し顔が引きつる。

こういう人は敵か味方しかいない世界を生きている。会った途端、こちらを値踏みしている。気に入れば徹底的に褒めるけれど、それはその人の価値観に沿っている間の話で一度でも気に食わない事があると、今度は徹底的に相手を攻撃する。頭が良い場合は、一見攻撃に見えないようにだけど確実にこちらの不利益になるようなことを行う。他人への攻撃に人生の時間を使っていて無駄に思えるが、復讐のために生きているからその人にとっては合理性がある。復讐すべき対象が自分の内側にあることには気づけないから終わらない。

こういう人には触れないというのが僕の人生のルールになった。一度触れて一生懸命に話そうとした事があったけれど、会話の中で彼らのプライドを傷つけないように話す事に疲れてしまって、会話をやめた。みんなも気を使い始めてなんだか家来のようになってしまう。彼らには怒るポイントがある。それをつつかないように考えながら話すのは疲れる。そして一度でも怒らせるとずっとその事を覚えている。

彼らもまた苦しんでいるのだろうと思う。自分は自分でいいという自信を得たい。他人と自分は違って、それでいいんだという心の平安を得たいのだと思う。自分で自分を客観視でき、癒す事ができ、本当は自分から始まっているのだと気づければ可能かもしれない。けれども、それはかなり難しい。自分の本当の問題を見つめる事ほど勇気と余裕がいることはない。その余裕がない。

世の中にはやり過ごした方がいい事がある。触れてはいけない人を変える事は難しい。変えようとして頑張るその時間も、限られた自分の人生の貴重な時間。触れてはいけない人の恨みは、表面に見えているものよりずっとずっと深い所に原因があり、そこに踏み込むなら自分の人生を賭けるつもりでないと自分も底にひきずり込まれる。