23歳で日本選手権をとってから、日本で一番というポジションはほぼ外さずにきていたが、現役時代の終盤30歳から34歳にかけて、私は少しずつ勝てなくなっていった。とくに最後の方は優勝争いというよりも4、5番手になんとか滑り込むという状況だった。
競技場の中心で注目を浴びていた時期があった人は皆そうではないかと勝手に思っているが、人の興味が自分から離れていくことに敏感になる。競技場に入った途端振り向く人の数が減る、寄ってくる人の数が減る。
それまでの人生でもそういうことは何度もあったし、揺らいだこともあったが一通りプロセスを経て克服したものだと思っていた。ところが、引退を前にすると、もう陸上競技で世の中の評価を取り戻すということは難しいというのを悟る。そうすると引退してからもう一発当てるということになるが、それは全く想像がつかない。
それまでは自分の自信は自分のやってきたことに帰属していて、だから世の中がどう変わろうとも自分自身の自信は揺らがないと信じていた。ところが、世の中が自分を重要視しなくなるといとも簡単に自信が揺らいだ。世の中から賞賛を得ることで、自分が満たされ、その余裕が自信のようにして現れていたが、その基盤が揺らぐとこれほど余裕も自信もなくなるのだというのを学んだ。
人は何を見てあの人は素晴らしいと賞賛し、何を根拠に自分は素晴らしいと思うのか。自信を他者に優越することに求めれば運よく勝てればいいが、勝てなければ手に入らない。またそれが揺らいだり、年齢とともにできないことが増えてくると自信が揺らぐ。自信が揺らぎかけた時、人は一番あがく。自然に集まる尊敬が足りないと無理して集めようとするからだ。優越感に支えられた自信は脆い。
引退する頃、世の中の注目は随分と無くなっていた。逆にそれで吹っ切れたところがあって、どうせ競技を始める前も何にもなかったのだから、もう一回一からやってみようと思えるようになった。競技人生では他者に優越することで自信を手に入れようとしていたが、振り返って手に入っていたのは誰かに優越したことではなく、自分はあの苦しい時期を乗り越えたんだという自信の方だった。次の人生ではうまくいくかどうかわからないが、少なくともどこまで苦しくても挫けないと思うことができた。
競技人生では当初手に入れようと思っていたものとは違うものが、結局手に入っていることがよくある。そして競技者は、ああ本当は欲しかったのはこちらの方だったのだと、手の中にあるものをしげしげと眺めるのだと私は思う。