Thinking In The Past.

意識を置く(動作)

2015.02.24

スポーツの技能の上達のセンスとはつまり”意識を置く感覚”だと思う。スポーツをするセンス自体は身体能力や元々の基礎となる体力や、きっといろいろ定義はあると思うのだけれど、いったいどうすれば上手くなるのかという上達のセンスはそれとは違うものではないかと私は考える。

技能上達には継続できる能力や努力できる能力というのはよく語られる。素直さだというコーチもいる。どれも大切なことだろうと思うけれど、努力して継続してコーチのいうことを素直に聞いても上手くならない人もいる。彼らの話を聞いていくと私たちの言葉で言う”ずれてる”印象を持つ。何かポイントがずれている。

例えばハードルを飛び越えてどうしてもリード足(振り上げた方の足)が前の方に着地してしまうという悩みを持った人がいる。その人がリード足を自分の真下に着地させるために一歩目の足を早く振り下ろそうと意識をする。ところが足は道具にすぎないから、自分の重心が然るべき高さに落ちてくるまで足をいくら早くつこうと思ってもつけない、つけたとしても力が入らないから意味がない。人間の体も物体だから飛び上がった時点でほとんどが決まっている。置くべきポイントは自分が飛び上がる瞬間にもっと体を前傾させることになる。感覚的には体をかぶせる。そうすれば自然と足が真下に落ちてくる。後傾すると足が前に着く。

足を振り上げたいと思って一生懸命足を振り上げる人がいる。振り上げようとすればするほど力んで足が振り上がらない。反対足で地面を踏みつけるようにしてみる。そうすると急に足が楽に上がるようになる。起こしたい現象の鍵がそれそのものとは限らない。いったいいつ足を地面に踏みつければ足が上がることに気づくのか。意識の置きどころを探すセンスが問われる。

何が起点で何が結果なのか。どこに意識をおけば全体のバランスが取れるのか。違うポイントに意識を置いて改善しても、技能が向上しない。いや若干は向上するかもしれないがインパクトが小さい。チャンピオンスポーツは時間との戦いで、たかだか2、30年程度しかない間で技能を上達しなければならない。効果の低いことに意識を置くことは結果として頂点を低くする。

どれだけ頑張るか、何回繰り返すかの前に、何に意識を置くか、がある。意識されない反復はただの習慣で、一定レベルから先では技能を向上する効果はない。