最近、いじめをやめましょうという言葉や方策があまり効かない中でどうやったらいじめを減らせるのだろうかと考えていた時に、ふといじめの非対称性、つまりいじめられている人と、いじめている人と、それを傍観している人に偏りがあるのがいけないのではないかと思った。その偏りを是正する為に、人生で一回は必ずいじめられるという通過儀礼を作るのはどうだろうか。いじめられるという経験をすべての人が持つわけで、多少なりともいじめられる側の視点がわかるようになる可能性がある。
例えば中学一年生になるとみんな必ず受けなければならない授業がある。学校のクラスなどでやると日常の関係性が出てしまうから、地域をバラバラにした集団を研修所のようなところで行う。2時間ごとにいじめられる対象者が交代していく。暴力は問題だろうから、無視をされたり、汚いものを扱うように扱われるという経験をする。またはひどいあだ名をつけられてその名前で呼ばれる。みんな帰る頃には一回は架空だけれどいじめられる体験をする。
こういうロールプレイがどの程度人にリアリティを持たせるのか私にはわからない。ただ、無くそう無くそうと口で言っても無くならないわけだから、一回体験してもらって自分たちで考えさせるほうがいいのではないかと思う。