ちきりんさんの本を読んで思ったことがある。
僕はおしゃべりだからいろんなところで喋っていたのだけれど、引退してから講演を頼まれることが多くなった。頼まれたからにはちゃんとやろうと自分の体験と考えをまとめてそれを一つの形にした。そうなると為末の講演という売り物が出来上がって、商品が売れる→フィードバックがある→改善するということを繰り返しているうちに、いつの間にか会社で一番売り上げが大きいのがその商品になっていた。
この人に話を聞いてもらうととても頭がすっきりするという人がいると思うけれど、今はその行為にコーチングという名前がついて売り物になっている。だいたい売り物になる場合メソッド化してあり、他とは全然違うというのだけれど、おそらく本質的には違わないのではないか。ただ違うのはそれを形にして売り物にしたから、たくさんのフィードバックがあり、改善があったという点だろうと思う。それこそがまさに違いなのかもしれないが。
自分がやっていることがどこかで売り物になっていることを人は知らない。私も私のおしゃべりが売り物になると思ってもみなかった。ただハードルを跳んできただけの自分の人生体験が売れると思わなかった。同じように多くのアスリートに話を聞いても、自分の体験なんてと言う。その度に形にして売っている自分がちょっとおこがましく感じるが、形にさえすれば売れるかもしれないのにとも思っている。
私たちは価値があるものを買うのだけれど、そんなに価値をはっきりと見いだせる人はいない。いるとしたらその人はそれを利用したサービスを作っている可能性が高い。私も外国人とおしゃべりと言われると買わないが、自然な英会話教室と言われると買う。形になり値段がついていると、検討しやすくなる。そのうちの何人かは本当に購入するだろう。購入さえしてもらえれば何が問題だったかがわかりやすくなり、改善がしやすくなる。
それを売っちゃあおしまいよ、というものもあるだろう。けれども例えば僕だったら将来子供とアウトドアをする為に、一から教えてくれる教室があったら絶対通う。僕の友達は1ヶ月キャンプをブータンでするような男だけれど、それを売り物と考えていない。だから形にもしていない。やってきたことが売れないのではなく、形にしてないだけだと僕は思う。
こんなものでお金を取るなんてという日本人の謙遜は僕も嫌いじゃない。ただ、売り物にしたものは、真摯に取り組む人であれば、必ずフィードバックを拾い、改善をして洗練させていく。そういう効果があるのもなかなかに重要だと思う。