ベンジャミンリベットのマインドタイムを読んだのが現役時代の頃で、とても感銘を受けた。スポーツはそもそも意識的に動く領域と、無意識に動く領域を上手にバランスさせることが大切だから特に無意識の領域については興味を持っていた。つまり相手選手をどう抜こうかと考えているサッカー選手の足元では無意識に足が動いてドリブルをしている。人の意識はいつも一点にフォーカスされるのだけれども、されていないところの動きこそが勝負を決めている。マインドタイム以降、私は素人認知科学オタクになった。
さて、ベンジャミンリベットの実験とは、右手首を曲げるという行動をとった被験者の三つのタイミングをはかったものだった。三つは以下のものである。被験者は任意のタイミングで右手首を曲げ、それを測定した。
・右手を曲げようと意識したタイミング
・右手を曲げる為に脳に電気が起こった(準備電位というらしい)タイミング
・実際に右手が曲がったタイミング
ここでわかったことが意外だった。人間は右手を曲げようと意識したタイミングの三分の一秒前に脳が準備を始めていた。つまり右手を曲げる為に脳内に準備電位が起こり、右手を曲げようという意図を被験者が持ち、そして右手が曲がる。被験者が意思を持つ前に脳が右手を曲げようとしていたということだ。
実感としては自らの行動は自らで決定しているとしか思えないけれども、実は体が先に動いていてそれを意識が説明をしているという可能性があって、素人ながらいろんな人の本を読んで私はどちらかというとその立場に近い。つまり意思はやってしまったことの説明づけの為にあって、意思が自らをリードしているわけではないということだ。
表情筋の研究で、割り箸を口にくわえて、コメディドラマや漫画を読むと、何割か面白さが増すという実験がある。口角があがり、笑っている時と同じ表情に近くなり、それを人間の脳は楽しいんだと認識し本当に楽しくなるのだという。さらに笑いを引き起こす大きな要因の一つにつられ笑いがある。つられて笑い、笑ったから楽しいと認識する。楽しいという感情も認識することでうまれるのかもしれない。
私がとった行動は全て私が意識的に行ったはずだというのは少し違っていて、無意識、意識、外的環境へアフォードすること、また自分がこれまで行ってきた習慣、相手の行動によって誘発されるもの、など様々な要因が複雑に絡み合って自分の行動は決まっているのだと思う。そしてそれらを観察している私が行動に意味づけをしたもの、それが意識ではないかと私は考えている。そういう点で、厳密な意味での自発性はないのではないだろうか。いつも間と揺らぎが行動を促す。