スポーツの世界ではスランプというものがあって、これがなかなかに苦しい。数カ月程度の短期のものもあれば、数年に及ぶ長期のもの、スランプなのかどうかもよくわからないままにパフォーマンスが低下した状態で引退する選手もいる。
特に苦しいのは一度は輝いた選手がスランプにハマるパターンだ。あんなに簡単にできたことができなくなる。意識しなくてもできたことを意識してしまってこんがらがる。一生懸命にやっていても、世間は頑張っていないとみなしてもっと頑張れという。このどん底状態も苦しいが、さらにその先には世間から忘れられるという世界もある。
スランプ時にはなにをやってもうまくいかない。それでもどこかで抜けられたりするパターンもあるけれど、じゃあ必ずスランプを抜ける方法があるかといったらない。スランプから抜ける瞬間はそれぞれ違い、抜けた後もなぜ抜けられたのかどうかわからないこともある。私はそうだった。
スランプにはまって潰れてしまう選手とそうでない選手を乱暴に分けてみると、あの時を忘れられるかどうかに尽きると思う。スランプにはまった時の苦しさは過去との比較にある。あの時の最高の動きが忘れられないから今の自分が苦しく思える。スランプではまり込む選手は、あの時から先へ進めていない。
私達アスリートは諦めるなと言われて育っているから、期待値を下げることに抵抗があるけれど、短期で期待値を下げることは長期的には諦めないことにつながる。つまり雲の上をずっと見ていたら頑張る気力が湧いてこないけれど、足元を見ていれば少なくともちょっとは前に進んでいるから勇気が湧いてくる。よくなっているということをちゃんと自分に認識させてあげるためには今日にフォーカスしたほうがいい。あの時と比べていいかどうかではなく、昨日より今日はよくなったかどうかを自分に話しかけてあげること。
メダルをとってそのあとスランプにはまった時、ずっと悩んで、最後の最後はもうなかったことにしようと決めた。メダリストからスタートするのではなくて、今ここの等身大の自分が全てだと思うようにした。そうすると不思議と具体的に何をやるのかが頭に湧いてきた。もう一回ここから山に登ってみようという勇気が湧いてきた。
輝いたあの日を忘れられなくて、今を生きていない選手はスランプにはまった時抜け出せなくなる。現在のあるがままの自分を認識して受け入れることが、スランプ脱却の足がかりとなる。