いやらしい話をしようと思う。世の中はお願いしますといった頼みごとや、仕方ないなという頼まれごとが行き交いする。仕事にはこの貸し借りの感覚があることが大切だと思う。
一つ一つのやりとりを完全にフェアにすることは難しく、仕事をやっていれば多少こちらが損をするか、相手が損をするかということが出てくる。それでも長期的にフェアに着地するように目指していきましょうねという暗黙の了解の上で日々が成り立っている。ところがこの貸し借りの感覚がない人がいる。こっちはまずはそちらに貸しますよというつもりでやっていても、相手が借りていることに気づかない。だからやってもやっても返ってこないし、なんなら何度も頼みに来る。日常のただの親切であればそれでいいのかもしれないけれど、仕事だと継続は難しい。次第にその人に頼まれても受け流すようになる。
あなただからやったんですよという貸し借りがわからなければ、敢えて言わないといけなくなるが、恩を貸しているんですよとはっきり言うことほど野暮なことはない。だから普通は貸してみて返ってこない人には何も言わずに貸さなくなる。
この人は貸してくれたなという感覚がわかるためには、世の中がどんな理屈で動いているか、または一体そのことがどんな意味を持つのか、いったいそれがどれだけ大変なことかを理解しないといけない。選手時代、人が資料を作ってくれることにたいして気を使わなかったけれど、自分でやってみて大変で、感謝をするようになった。誰かが紹介するということはある種の信用貸しなのだけれど、これを他人にするようになり、意味がわかるようになった。
自分は誰にどれだけ借りているんだろうか。金の話なら数字でわかるけれど、信用や恩義の話だと難しい。気にせず気楽に生きていても、一旦仕事を始めるとその不義理が響いていてくる。失った信用は回復するのに時間と労力がかかる。いや時間がかかっても回復しないこともあるだろう。歳をとって若い時の自分のわかっていなさ加減に腹をたてることが多くなる。
いやらしいが、おごられたことを覚えている若者を私は優遇する。仕事ができるかどうかはわからないけれど、そいつはたぶん信用できる。