サミエルウルマンの”青春”という私の大好きな詩がありまして、そこに
”青春とは人生のある時期をいうのではなく、心の様相を言うのだ”
という一文があります。私はとてもこれに賛同するわけで、若くして老いてしまってるような人もいますし、いくつになっても若々しく、まさに青春を生きているかたもいます。実年齢と若々しさはさほど関係がないように感じられ、どんな心持ちで日々を生きるかがまさに青春を決定づけているのだと思います。
話は変わり、人間の能力はいつまで成長していけるのでしょうか。スポーツの世界では明確に、身体能力においては20代の前半がピークになります。いやそんなことはない鍛えればいくらでも能力は向上するではないかという意見はごもっともですが、それはベースとなる身体能力(これをなんだと捉えるのかによっては随分と答えは違いますが)が衰えていく以上のペースでトレーニングを行って向上したわけです。アスリートにとって20代以降の戦い方は、衰える身体能力以上のペースでトレーニングをするないしは技術を向上させるということになります。
これを能力の向上と言ってもいいのかもしれませんが、少なくとも新しいことを習得しにくくなる傾向にあるということは賛同いただけるのではないかと思います。英語学習が盛んですが、10代で留学をした人と、30代で留学をした人の習得のペースには大きな違いがあります。人間の脳が適応しきる前の方がやはり語学習得には良いと思います。10歳以降に競技をはじめてオリンピアンになれる競技は随分少ないです。スポーツにおいては可能性は現実には10代の時点ですでに減りつつあります。
皮肉なことに何かに制限がかかるからこそ選択肢は絞られ、人は迷わずそこに向かえるようになります。人は生まれてからできることが増えていくように思えますが、実際にはできなくてもいいことを削り、できることに特化していくと聞きます。可能性がありすぎると、選ぶこと自体が困難で、かつ先が長いためついのんびりしてしまい機を逃してしまいます。
私は暗い男で、人間には限界があり、人は必ず死に(時間)、誰もがウサインボルトになれるとも限らない(能力)という考え方をします。けれどもこの考えを持つに至ったおかげで、私は戦場を選び、やるべきことを先延ばしにすることをやめ、やりたいことは今すぐやるという姿勢に変わりました。
時間も能力も、可能性は無限じゃないんだと実感することにより、人生は絞り込みやすくなります。人の可能性は無限大だという人ほど、今日に必死になっていないと思うのは私の偏見かもしれません。