Thinking In The Past.

私のパフォーマンス理論 vol.31 -質問の仕方-

2019.08.05

私はコーチをつけないという選択をしたので、自分で自分をコーチングする必要があった。コーチがいないことのデメリットの一つが自分の姿を客観的に把握しにくくなるというものだ。またもう一つのデメリットは自分で情報を探しに行き、取り組み方を変えないと同じところをぐるぐる回って成長できなくなってしまうこともある。自分なりに試行錯誤し、いろいろと取り組んだ結果、客観性を確保するには他人に質問をすることが一番いいと思うようになった。

私にとっては質問は競技力向上の上で重要なスキルだった。人間の頭は質問されて動く。まずなぜそうなのかという疑問(質問)が浮かび、それに応えるように思考が展開していく。もし他人に質問して答えてもらうようにできれば、思考を外部に委託できるような形になる。また質問と答えの関係を見ることで、考え方の新しいパターンを手に入れることができる。

競技者が質問をする大前提として、相手の答えを自分自身がちゃんと受け止めるという心構えでいなければならない。受け止めるということは相手の言葉によって自分が変わることを厭わないということだ。質問はするが全く意見を受け入れず自分も変わらないという人間がいるが、こういう人間は次第にどうせあいつは変わらないのだからと、当たり障りのない返答しかしなくなる。質問に他者が応える内容もまた質問をする人間がその質問によってどう反応するかに影響されている。応えることで相手が反応し変わってくれると人は面白がって質問に対し懸命に考えるようになる。働きかけても反応がないものには人間は興味を持たない。

私が意識していた質問は大きく分けて2種類あった。一つは自分を知るための質問、もう一つは外の対象についての質問だ。自分を知るための質問はなるべく多くの人に聞き、外の対象についてはその領域に明るい人や事実関係に詳しい人に聞くようにしていた。以下、質問の例を挙げる。

【自分を知るための質問】

「私の姿はあなたからどう見えていますか」

「私が他の選手と違う点はなんですか」

「あなたが私だったらなにをしますか」

「今一番私がなおした方がいいと思うところはどこですか」

「これまで私と今の私で変わった点はなんですか」

「私は何が得意そうに見えますか」

「私は何をしている時が楽しそうですか」

「私が今やっていることでやめた方がいいと思うことはなんですか」

自分に対しての質問は、答えを聞きたくないから質問しないという人も少なくない。何しろ聞きたいことを相手が話してくれるとは限らず、また知らない自分を見るのは精神的にも苦痛を伴う。だから精神安定を保つ上で聞かない方がいいこともあると思う。ただ、他人から見えている自分の姿はかなり自分の思う自分とは違うので、他者からの見え方を知ることができると自分の姿を客観的に把握しやすくなる。傾向としては自分がどう見えているかについて質問をする数が少ない選手は、近視眼的で、思い込みが強いことが多かった。これはこれで強みになるから、こういったタイプの選手はコーチをつけてコーチの筋書き通りやる方が良いように私は考えていた。客観性とは、自分が想像する自分の姿が外から見える自分の姿と一致しているとは限らないという疑問を持つことでもある。

【外部対象についての質問】

「〇〇についてどう思いますか」

「〇〇は端的に言うとなんだと思いますか」

「〇〇は今後も続くと思いますか」

「〇〇は専門家の領域ではどう評価されていますか」

「〇〇に対しての反論はどのようなものがありますか」

「〇〇のベースとなっている本、論文、データはありますか」

「〇〇に関することで読んだ方がいいと思う本を一つあげるとしたらどれですか」

わからない領域に関して質問するときは、もう少し何がわからないかを説明して質問した方が相手も答えやすい。競技者にとっては、質問するべき外部対象は、トレーニング方法、他の選手、スポーツ界で起きている現象、などが多いと思う。特にトレーニング方法は奇抜なものが時々出てくるが、これらが専門家領域でどう捉えられているかは確認しておいた方がいい。私の経験上、新しいトレーニングの9割は過去にすでにあったものの焼き直しか、または根拠のないものだった。また、他の選手に対しての評価を他者に聞くことで、対象となっている選手の特徴がどこにあるのか、評価者はどういう点に注目しがちなのかという二つのことが理解できる。これらの繰り返しで人間への理解が深まったように思う。

質問こそが、コーチのいない選手に与えられた武器である。質問をうまく使える選手は、自分を成長させることができるし、さらにその先には他者を成長させることもできるようになる。なぜならば質問に答えている側もまた、質問によって考えをより深め明らかにすることもあるからだ。