Thinking In The Past.

私のパフォーマンス理論 vol.18 -諦めない技術について-

2019.05.05

諦めるのかどうかは、性質・性格(根性)が全てと思われているが、私は技術の要素がそれなりにあると思っている。諦めない技術にもいくつか段階がある。練習を続けるかどうかの習慣化の話、苦しい練習に諦めないで耐える話、そして長期の目標達成の話の三段階で私は捉えている。よく歯磨きに例えられるように、決めたことを継続するのは習慣化の話になるが、日常的に練習をしているある程度レベル以上の人を対象にしているので、練習を続けるといったような習慣化は済んでいるものとして残りに二つについて書いていきたい。

苦しい練習については、痛みや苦しさに耐えきれなくて諦めることがほとんどだろう。人間の痛みや辛さは同じ状況でも感じやすい人もいれば、感じにくい人もいる。ダンアリエリーによれば痛みにも多少の適応があるそうだ。練習の苦しみや痛みは避けられないが、どこに意識を置くかによって感じ方はずいぶん違う。例えば火事で必死になって逃げている時に、自分のふくらはぎに切り傷ができていても気付くことはない。それがホッとした瞬間に痛みに気づく。

苦しい練習で自分の苦しみや痛みに意識を向けないことが大事だ。何にも意識を向けないのが一番いいが、人間の頭はつい何かを考えてしまうもので、せめて何か別のことに意識が向けられていることが望ましい。私は痛い苦しいということを意識に上らせないために、数字をカウントして気をそらしていた。ともかく苦しいことからは絶対に競技スポーツは逃げられないので、自分と心を一体化させない方がいい。機械が諦めないのは心がないからだ。少なくとも苦しみに耐える時には心を自分からうまく外しておかなければならない。

長期的に諦めない技術は以下の三つに分けていた。

 

①反応を薄くする

②目標を小分けにする

③自分を信じすぎない

 

①反応を薄くする

諦める人間はリアクションが大きい。難しいタスクを行なっている時、諦めやすい人ほどリアクションが大きかったという実験結果もある。リアクションが大きい人間は、感情的で、感情が表に出ることを抑えられない、などの要素がある。人間は期待と結果の差がある時に心的にダメージを受け諦めるのだが、感情的な人間は自分の見方・願望が強く出すぎるので期待が大きくなり、失敗した時の落胆も大きい。

私はかなり感情的な人間だが、辛い練習や試合で成功失敗を繰り返していくたびに、一喜一憂していては心が持たないと思い、少なくとも競技においては淡々とすることを目指すようになった。具体的には表情を殺すことを意識していた。人間は感情が表情を作るが、表情によって感情も影響される。感情に直接手を突っ込んでコントロールできないので、コントロールできる表情から入り淡々とするようにしていた。競技中は能面をいつもイメージしていた。その方がなんとなく心の揺らぎが小さく感じられたからだ。

どれだけ競技歴が長くなっても心が揺らがないということはなかった。心が揺らぐことではなく、揺らぎ続けることでいつも深刻な問題が起きていた。人間なのでうまくいけばうれしいし、失敗すれば落ち込むが、それがすぐ平常運転に戻れば問題ない。諦めない人間は平常心というよりも、乱れてから収束するまでの時間が短い印象だった。

ちなみに短期(10年程度)の場合は感情的でも持つと思っている。勢いがあり淡々としている人間よりもむしろ感情的な方が根性があるように見えるのかもしれない。だが、10年を越え、20年近くになると、競技力も頂点近くになるので成功より失敗の方が多くなる。その頃から徐々に落胆の大きさに心が耐えられなっている印象だった。競技を長くやった選手は老成した印象を持つが、そのような性格の人間が生き残るというよりも適応の結果そうした性格に仕上がるのではないかと私は思っている。夜と霧の中でアウシュビッツで人が多く亡くなったのはクリスマスの後だと書かれてある。期待がなければ落胆もない。

 

②目標を小分けにする

よくトップアスリートの小学生のころの文章が出回り、オリンピアンは小さい頃からオリンピックを目指していたんだと皆が褒めることがあるが、私の経験上才能のある子どもはみんなオリンピックや、ワールドカップ、プロ野球と書いていた。もちろんオリンピックに行けなかった選手の方が多い。私の感覚では大きな夢は競技成績とはそこまで相関がなく、それよりも日々の小さな目標設定と振り返りの方がよほど競技成績に影響をしていたと思っている。

大きな目標は聞こえはいいが、では具体的に明日何をすればいいかは教えてくれない。自分を成長させるのは結局具体的な練習しかない。練習の中で何を意識し何を目指し何を達成すれば勝利とするのか。これを決めて日々取り組み、そして帰り道でうまくいったのかいかなかったのか、いかなかったならそれはなぜなのかを振り返り、反省する。そしてまた明日の目標を決める。大きな目標よりもこのようなごくごく短期の目標と実践と振り返りの方が影響が大きかったように思う。

私は毎日に勝敗表をつけていた。基本的に毎日に目標があり、練習が終わって帰り際にその目標を達成できたかどうかで勝敗をつけていた。勝敗は6勝4敗ぐらいが一番やる気が出た。長期でも目標は持っていたが、それよりは1ヶ月程度の目標の方が競技力には効いたように思う。1ヶ月単位で考えることは副次的なメリットがあって、例えば怪我や調子が悪いことなどで最初の1週間全く練習できなくても後半で挽回して帳尻を合わせることができる。これが短すぎたり1日単位だと無理をしすぎてしまう。1ヶ月ぐらいでなんとなくバランスを取るぐらいが私にとってはちょうどよかった。

 

③自分を信じすぎない

どうすれば諦めないで済むかと言えば、諦めるという選択を選びさえしなければ理屈上は諦めていないことになる。つまり諦めないということは、諦めることを先延ばししている状態とも言える。人間は記憶を無意識に(または意識的に)編集することが知られている。特に勝者は意図せず過去を編集してしまうので、仮にそうではないプロセスだったとしても、苦しい時も諦めずに目標を持って頑張ったという話になりがちだ。だが、少なくとも私の例で言えば、諦めるという選択を先延ばししてなんとかやり過ごしたという方が近い。

私は強い精神モデルと、弱い精神モデルの二つで自分を捉えていた。前者は自分は精神的に強いし強くなれる。だから自分の意思で自分はコントロールできるというモデルだ。後者は自分は精神的に弱く強くなれない。だから自分の意思で自分はコントロールしきれないというモデルだ。

私の競技人生は最初は強い精神モデルで進んでいたが、スランプや敗北の際に精神的に脆く崩れる自分を間近で見てしまったので、途中で強い精神モデルを信じられなくなってしまった。途中から弱い精神モデルに切り替え、自分は弱いので、誘惑が少ない環境を構築することを重要視した。例えばダイエットをしたいならまず冷蔵庫から無駄なものを捨て、コンビニから遠くに住めば、トリガーになるものも少なく、いざ何か食べたくなっても買いに行くめんどくささと比較して、買わないことが増える。このように自分が弱いのであれば誘惑に負けにくい環境を先に作ってしまえば結果として諦めにくくなる。

不思議なもので強い精神モデルの競技者のうち本当に突き抜けた一部の人以外は、途中でぱたっと引退してしまった。強い精神モデルは、完璧主義でもあるので一度でも自分の弱さを見てしまうと自分はダメな人間だと考え一気に崩れてしまった。弱い精神モデルは弱い人間だという前提から始まるから頼りないが、崩れにくいい。何しろ最初に強い自分を諦めてしまっているので落胆することがない。

もちろん最も影響が大きいのは幼少期に育まれる自己肯定感になると思う。ただこれは競技人生に入ってからは改善できないので省いた。

最後に諦めないこと自体が目的化してはならない。特に日本人は継続に対して極端に執着するので、これまで続けてきたという理由以外なくても続けてしまう場合がある。この場合は諦めないというよりも、諦めるという選択に気づかないか勇気がなくてできないというのに近い。一回距離を置いてみると続けないといけないと思い込んでいたことを不思議に思うことすらある。諦めないことは手段ではあるが、目的ではない。諦めてうまくいった話より諦めなくてうまくいった話の方が取り上げられやすく、結果社会にバイアスがかかっていると私は思う。