[:ja]平野啓一郎さんの本は一度も読んだことがなかったのに、津田さんに勧められて小説をすっ飛ばしていきなりエッセイを読んでしまいました。今度小説を読んでみようと思います。
個人という単位ではなく、分人という誰かとの関係という単位で捉えるべきではないかということが丁寧に書かれています。おそらく誰しもがぼんやりと考えたことがあるいくつかの自分という考え。分人という考えはそれを肯定し、それは自然なことなのでそのまま抱えていきていけばいいと、背中を押されるような気持ちになります。
内容に強く納得しつつも、実は私はこの感覚が”今は”あまりありません。かといって、ものすごく社交性が強いかというとそういうわけでもありません。
小さい頃は、同じような感覚がありました。親と一緒にいるところを友達に見られたくありませんでしたし、中学校の友達と高校の友達が会ったりするのはいやでした。また、本当の自分でなんなんだろうと考え込んだことも一度や二度ではありません。それでも今は抵抗感がなぜか小さい。
自分で分析しながら本を読んだのですが、競技体験というのが大きいような気がします。競技を極めていくプロセスで、他者を意識しないで(というか視界に入りにくくなるのですが)ひたすらに没頭する世界に長くいると、外部の目に対し鈍感になり、平野さんの言葉でいう、自分と向き合うだけの分人がかなりの領域をおさめるようになっているのかもしれません。
コミュニケーションが上手い人も、そうではない人も、何らかのヒントになると思います。皆さんも読んで、自分はどうだろうと考えてみてください。[:]