『東京五輪はもうダメでしょう』
そう言われることが多くなりました。確かに世界中の状況を見ても、新型コロナウイルスの影響が収まる気配はなく、とても世界的なイベントなんて開けそうにありません。また国内でも状況は刻一刻と変わっていて、それどころじゃないように思えます。ですが、私はぎりぎりまでがんばってみようよという意見です。難しいことは承知の上ですが、ほんの半年前まであんなに努力していた人たちもいたのに、検討もせずに一気に諦めることはないように思うのです。
今は五輪をやるのかそれともやめるのか、と意見が割れているように思いますが、実際にはその間に様々な選択肢があると思っています。まず、五輪と呼んでいるものの中を分解してみます。
五輪には観客が必要だという観点ですが、無観客は十分選択肢としてあり得ると思います。観客がいない中でやりたい選手なんていないと言われることもありますが、私も含む私の周辺の選手・元選手は全員、観客がいなくても構わないという意見でした。ものすごくメジャーな競技以外は、観客があまりいない中での競技会なんて慣れっこですから、それほど違和感もありません。実際には五輪は映像で観て楽しめるように洗練されています。テクノロジーを活用することで、新しい観戦体験を生み出せる可能性もあります。
また、選手村はミュンヘンの悲劇、そして2001年のテロを経て、かなり厳しい入村条件になっています。基本的には選手が選手村の中に入る時には空港のチェックと同じような荷物検査を受けます。選手村内も一度入ってしまえばなんでも中にあります。そして関係者以外が中に入ることは厳しく制限されています。選手村から競技場まではバスで直通です。裏を返せば選手は隔離されている状態なので、仮に選手村と競技場以外は移動禁止にしてしまえば、管理は難しくないだろうと思います。
また、競技も全ての競技をやらなくてもいいという考え方もあります。確かに開催が難しい競技もあると思います。全ての競技が揃わなくても五輪と言えるのかという疑問はあると思いますが、私はある程度仕方ないと思っています。IOCは基本的には統括で、主な権限は各競技団体に任せられていますから、開催が難しいということになれば辞退をすると思われます。
おそらくここまで妥協をしていけば、10000人程度の人々が選手村に一気に入り、その後隔離された状況で、バスで試合会場と行き来するということになります。もちろんPCR検査も常時受けつつです。
次に判断の時期です。私は以前、せめて年内に判断しないと選手たちの準備は間に合わないと言ってきましたが、考えを変えました。今年の5月ぐらいまで世界的に自粛状況が続きましたが、いざ蓋を開けてみると、陸上競技に関しては例年とさほど変わらない記録を選手たちは出しています。競技特性もあると思いますが、トレーニングに制限はかかっても選手たちはうまく工夫してコンディションを保てるのではないかと思うようになりました。少なくとも選手の体調面では、おそらく3月ぐらいの判断でも間に合うのではないかと思います。
今すぐやめる判断をすることで削れるコストはこれから必要とされるコストです。これまでかかったコストはサンクコストですのでやろうがやるまいがもう戻ってきません。判断の時期はもう少し先でしょうから、それまでの費用をかけるべきかどうかが今すぐやめる判断をするかどうかの判断基準になるかと思いますが、私は費用をかける価値はあると思っています。
一歩引いてみて、社会にとって何故五輪を開催するのかという意義を考えてみると、私はリトマス紙であり、一つの環境負荷だと思っています。五輪とは関係なく、このまま人の往来がなく、各国が分断された状態に置いておくことは、日本の置かれた環境を考えても、世界的な友好関係を考えてもとても良くないことだと思っています。経済的な結びつき、文化的な交流こそが各国の友好の礎であり、これらが一時期でもなくなることは分断を助長することになると思います。来年の夏に五輪ができるような条件を頑張って揃えてみることで、結果として人々が行き来できる状況を目指すことになり、それは日本においてもインバウンドの回復、世界から見ても好事例になるのではないでしょうか。なんとか開催してみようと頑張って工夫した結果、withコロナ時代のソリューションが生み出される可能性もあると思うのです。
あまり感情的になってはいけませんが、選手にとっては五輪は人生です。観客がいないとか、準備が不十分だとかそんな程度で諦められるような類のものではありません。五輪は完璧でなくたってもいいのです。厳しい状況なのはわかっています。結局ダメかもしれません。でも、夢を諦めるなというメッセージはまさにほんの半年前まであちこちで見かけた五輪のメッセージだったのではないでしょうか。もうちょっとだけ頑張ってみませんか。