Thinking In The Past.

年始のご挨拶(第十回メルマガより抜粋)

2017.01.04

[:ja]

皆さま、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

昨年は侍にとってはなかなか苦しい一年になりました。2016年はタレント事務所ではなく、組織として経営を成り立たせようという目標のもとに運営してきました。

結果は、売り上げは微増ながら営業利益率が20%から0.6%に、為末部門の利益で(弊社は為末部門とそれ以外のプロジェクトに分けてあります)カバーしてなんとか黒字で着地となりました。為末の稼働を減らしたためにもっとも利益率の高い為末部門での利益が減少したのと、予想以上にプロジェクトがうまくいかなかったのが原因です。

自分自身の経営能力の無さにもがっくりきておりますが、それ以上に痛烈に反省をしたのは、利益のことに気を取られ、そもそも自分と会社は何の為に存在するのかという存在理由の追求を怠っていたことです。決算が終わり、結果を受け止め反省をし、昨年の上半期は何よりもまず前提にある価値観を固めるべきだと思い、一人で考えておりました。

競技人生の間、私はコーチをつけないで競技をしておりました。それはそのやり方が優れていたというよりも、私自身が何かに縛られたり人の命令に従って動くということが我慢ならなかったというのが本当のところです。その頃、自分は偏屈で一人が好きなんだと思っていました。

ところが現役の途中からブログで世の中に対して発信するようになると、自分で発信しながらも、黙ってりゃいいはずなのにどうして自分はこんなに考えを世の中とシェアしたいのだろうかと考えるようになりました。

引退して書いた本の一つに「諦める力」という本があります。私はこれを応援歌のつもりで書きました。諦めるなという本はたくさん世の中にありました。もちろんそれは大事なことだし、多くの人はそれでいいのだろうと思います。一方で、諦めてはいけないという考えで逆に自分を縛り付けて不自由に生きている(ように見える)人を見て、疑問に思っていました。

人間はもっと自由になれるはずなのに、過去や世間的体裁や思い込みに縛られて人生を生きている人がいて、しかもそれに苦しんでいる。諦めるとは仏教では明らめると書き、物事を明らかにするという意味で使われるそうです。物事を明らめることで、一回空っぽで自由になり、むしろ次に夢中になれるものを見つけて頑張れる可能性があるんじゃないか。それを伝えたくて書きました。

私がコーチをつけないで競技を行っていたことの背景にあるのは、人間はそれぞれ自由に自分の考えに伴って人生を生きるべきで、それを制限してはならないという価値観だったのだと思います。

自由に自分なりの人生を生きるというのは楽しいことばかりではありません。自由になりたいとは言っても、社会にも、自分の能力的にも制限はあります。自分を問い詰め価値観を追求し、人生を選びなおすことは負荷が強くしんどい作業でもあります。ですが、そうだったとしても、自分なりの自由と自分で選んだ人生を生きることは、苦しさを上回る幸福を得られるのだと思います。

昨年最も嬉しかったことは二つあります。一つは社員が自分の意見を言えるようになったことでした。社員が自らの意思で私に意見を言い、発言できたことを喜んでいる場面を見た時に喜びを覚えました。

もう一つは、イベントの中で、幅跳びに興奮したデフの子供が早口というか、早手話でこちらに思いを伝えてくれたことです。初めてスポーツのイベントに参加したそうで、これから陸上をやってみたいと言ってくれました。運営で失敗もたくさんあったイベントでしたが、一人の人間が自分の可能性を見出してくれるきっかけになれたことに感動を覚えました。

経営的には苦しかったですが、その二つの場面に出会い、やはり人は自由に自分を表現し感情を他者と共有することで幸福になれると感じさせられましたし、地位や年齢や性別や障害の有無によって人を制限すべきではないと改めて思いました。

事業自体もまだまだふわふわしていますが、少しでも社会に貢献できるよう、事業に邁進していきたいと思います。

今年もどうぞ、弊社と弊社社員を宜しくお願いします。

株式会社侍 代表取締役

為末大

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