Thinking In The Past.

五輪の延期3/17

2020.03.17

ここ数日のいくつかの動きを見て、完全な決定ではないものの私は東京五輪は延期する方向に調整が進みつつあると考えている。総理の完全な形の五輪というのはその合意が得られたことを意味しているのではないか。ここで無理やり年内の開催にこだわると延期ではなく中止になる恐れがあるし、何より多くの人の健康に影響を与えてしまう恐れがある。五輪は予定通り行われて欲しいが、まずすべての人の健康と安全が確保された上での開催にすべきだろう。そしてその条件を満たすことは日に日にむずしくなっている。

おそらく世論も五輪を開催しない方向に傾いていくだろう。そうせざるを得ないのだろうというのはわかる。しかし、そうだったとしても、本当に大変な思いでこの夏を目指していたアスリートたちの気持ちの行き場はどうすればいいのか。時にこの夏に人生を賭ける思いでやってきたのに。もし自分が今アスリートだったらと思うと表現できないぐらいの不安に襲われているだろう。自分が人生をかけて目指してきたものがなくなってしまうかもしれないのだから。自分のピークがそう長くはもたないことも薄々感じながら。

1948年、戦争の傷跡がまだ癒えない頃、日本は戦争責任の名目でロンドン五輪の出場を認められなかった。世界記録を保持していた古橋広之進はロンドンと遠く離れた千駄ヶ谷の神宮プールで、同日に1500m自由形を泳ぎ、ロンドン五輪で出された記録を21″8上回った。非公認ながら大差をつけた世界記録だった。それは国民に大きな力を与えたが、もし、あの時にテクノロジーがあれば、古橋選手が競争をして世界一になる瞬間を見れたかもしれない。

もし五輪が延期になったとしても、世界中のアスリートたちに競技をする場を提供することはできないだろうか。現在にはテクノロジーがある。無観客の世界中の競技場にカメラを取り付け、それをバーチャル空間で合成し、数千数万人が横一線になっているように見せることができるのではないか。選手だけではない。もしそうなれば、理屈上は世界一の選手もそして私の息子も、近所のお母さんも100mの決勝に出場することができる。それは競技場でなくてもいいかもしれない。誰が本当に速いのか、決めることができる。

もちろんできる競技とできない競技があるだろう。また、風の影響、距離があることでの遅延など完全に公平な状況は作れないかもしれない。それでも、何もないよりはましではないか。五輪が開催されなかった場合に一番傷つき苦しむのはアスリートだ。アスリートのピークは短い。今この瞬間でしかできない技術があり、入れない境地がある。この夏に準備してきたのならこの夏にしかできないものがあるのだ。

まだ五輪の延期は決まっていないにしても、もし延期になるとしたら、彼らの思いをぶつける場所を、力を出し尽くす場所を、五輪の10分の1にも満たないかもしれないが準備することができないか。五輪はまだ始まってもいないし、終わってもいない。五輪の火を、選手の心を、消さない方向に舵を切れないか。