Thinking In The Past.

トップアスリートと幼少期の環境 Deportare letterより

2020.12.07

以前、読んだ本にアフリカ大陸のトップアスリートの子供たちが競技をやってもトップアスリートになる確率が低いのはなぜなのかについて仮説が書かれていました。それは、親の世代の時には、遠くの学校まで歩いたり走ったりしていかなければならず結果として長距離をやる上で有利な能力を獲得していたが、親が選手として成功して金銭的に豊かになると、子供の学校までの送り迎えを車でするようになってしまうから、という仮設でした。ある程度データ的にも矛盾するものではなかったと記憶しています。真実かどうかを語るにはまだデータが足りないと思うのですが、私はとても示唆的な観点だなと感じました。親や周辺が子供に対し教育的に良いであろうと提供するものよりも、一見関係のないような子供が置かれている環境が才能に影響していたというという一例に思えるからです。

先日トップスプリンター4名に話を聞く機会がありました。桐生選手、山縣選手、多田選手、飯塚選手です。四人ともとても個性的で、競技観も走る際に意識を置くこともそれぞれ違いましたが、共通しているのは、幼少期に外で活発に遊ぶ子供だったということでした。
外で活発に遊ぶことはよく重要だと言われますが何が重要なのでしょうか。私のやっていた400Hで言えば、走りながら自分の歩幅を大きくしたり小さくしたり調整をすることがとても大切になります。ハードルに足を合わせるためです。毎回同じ条件であれば簡単なのですが、ハードルは屋外で行うので、少し風が吹くだけでも歩幅が変わりますし、緊張しても変わります。この微妙に変わる環境にうまく対応して、歩幅を調整し直すことが大事です。
これにも得手不得手があるのですが、一見練習で克服できる能力に思えて、足がうまく合わせられない選手は引退するまで克服できないことが多かったと感じていました。
私はこの能力が高かったと思うのですが、それは幼少期に不整地の上や、川で石が並んでいるようなところで、毎回次に足を置くべき場所を狙いながら走り回っていた機会がとても多かったことが影響しているように思います。力加減をコントロールしないといけないような地面での遊びが、自然と歩幅調整能力を鍛えてくれていたのではないでしょうか。400Hを選んでからは一度も歩幅調整で悩むことがありませんでした。

もう一つ、四人のスプリンターに共通していた環境は親御さんが自分で選びなさいという姿勢で、自分で自由に意思決定をしてきたということでした。この自分で選べる能力がトップアスリートになると決定的に重要だと考えています。なぜならばどのコーチにするか、どの走り方にするか、違和感がある時に試合に出るのか出ないのか、の一つ一つの意思決定が勝敗を分けるからです。しかもトップアスリートの世界には前例がほとんどなく、前人未到であることが多いので、誰にも答えがわかりません。ですので結局、なんとなくこっちがいいような気がするというぐらいの状況でそれでも決めなければならないわけです。
子供のうちから自分で決めさせてしまうとどうしても未熟なのでおかしな意思決定をしたり遠回りすることも多いわけですが、それでも徐々に繰り返していけば選ぶ勘というのが身につくと思います。何となくこんな気分の時に選ぶと失敗するや、こういう人のいうことを聞くとうまくいくことが多かったなど、経験を積んでいきます。一方、周辺が選んであげると遠回りが少ないので幼少期にはエリートでいることが多いですが、最終的には伸び悩むことが多くあります。それは選んだ経験が少なすぎて選ぶ勘が育っていないからだろうと私は考えています。

さて悩ましい点は、大人になってから獲得しがたくしかも競技に重要な能力はなにかや、その能力を鍛えることができる幼少期の遊びや環境は何かが、競技をやり切ってみないとなかなかわからないことです。とりあえず、息子とはなるべく歩いて移動するようにはしています。