わかりやすい権力や力が手に入る組織ではコンプレックスをモチベーションとする人が集まりやすい。世の中に対して影響を与えられる、自分の力(実際には組織の力ではあるけれど)を使って他者をコントロールできる、そして周囲がそういった認識で自分を重宝してくれるというのは、コンプレックスをわかりやすく癒してくれる。組織の側としても、相当に個々人が努力してくれるからやりやすい。
コンプレックスをモチベーションとする組織文化では、余裕のある人がうまくはまらない。余裕のない焦燥感が組織エネルギーのベースだから、余裕を持ってしまったらそれがうまく使えなくなるからだ。だから、どうしてもこの文化の組織はのんびりできないし、のんびりする人を受け入れない。文化が濃いほどそうなっていく。満足は禁物だ。
問題は目標を失ってしまう時だ。コンプレックスは諸刃の剣なので、深く考えずひたすらに目標に向かっていれば弊害が少ないが、それらを失うと、コンプレックスが自分かまたは余計なことに向かい、暴走し始める。コンプレックスをベースとする組織は、目標のために組織があるだけではなく、組織存続のためにも目標を設定しなければならない。常にエネルギーの向かい先を設定しなければならない。
この文化の上では、whyと尋ねるよりも、howと尋ねる方が威力がある。なぜかは考えず、どこにいくかは設定されていて、どうやってそこに到達するのかだけを考える枠組みが機能する。内省はあまりしない方がいい。してもろくな結果にならないし、自分の内側の厄介なものと対面せざるを得なくなると受容に相当時間がかかるからうまくいかずにこじらせる。気がすむまで走り切ってみて、疲れたら振り返ってみて、また走るぐらいがちょうどいい。
この文化の組織のメンバーは幸福感はさほど高くないかもしれない。ただ、世の中に影響を与えられていれば充実感はかなりある。ちょっとお互いにツンケンし合うかもしれないが、それは副作用みたいなもので、その攻撃性が目標に向かえば達成の確率が高くなる。外部から見ていると、目標の方が自分よりも重要視して見えるが、当の本人はターゲットしか目に入っていないのでそう思っていない。
こういった文化において、組織の存在理由は戦いであり、勝利であり、理解ではない。理想より現実を重んじる。この組織を鼓舞する言葉は、手に入れろそうすれば全ては癒される、だ。