Thinking In The Past.

狙われる人生

2016.04.12

私は田舎で育ったからよく指導者から「調子にのるな。謙虚でいろ。人には誠実に向き合え」と言われていた。家庭も同じようなもので謙虚に人に誠実にと言われていた。この言葉のおかげで道をかろうじて踏み外さずにここまでこれている。一方で、トップアスリートとしての世界(社会から認識されるような知名度)では、この普通の人間として過ごせというアドバイスが仇になってしまうことがある。

先のアドバイスはほとんどのアスリートにとっては素晴らしいことだが、ことトップアスリートがそのまま実行すると無防備すぎる。例えば、たまたま食事の場で隣に居合わせた人がファンなんだと言ってくれて、今度是非ご飯をご馳走したいと提案される。スーツを着ていてとても誠実そうだ。名刺もくれて会社の名前も書いてある。よく社会を知らないが人付き合いはいいアスリートは、ご飯にいくかもしれないし、少なくとも求められて写真を撮るかもしれない。実際の社会ではこの人が反社会勢力の人であるかもしれない。

目立つアスリートは狙われている。ところが人生の前半の癖が染み付いていて、人に狙われているかもしれないと思う自分は自意識過剰なだけじゃないかと、自動的に突っ込みを入れる。いつ自意識過剰で無くなるのかは誰も教えてくれない。

芸能界の人に会って驚いたのは、何が危なくて何が大丈夫かの知見が蓄積されていることだ。どの店が反社会勢力に近いのかを知っている。ところが全てではないがアスリートは純粋な少年少女であることが多い。人を信じやすく、素直で、世の中にいる人は基本いい人ばかりだと思っている。

メダルを狙うということを教えてくれる人はそれなりにいたが、狙われている時にどう対処したらいいかを教えてくれた人はいなかった。徐々に経験から何が危ないことかを学んでいくしかなかった。多くの人生はそうやって学ぶのだからアスリートも同じであるべきなのだろうけれど、20代でいきなりピークがくるという点では普通の人生と違うと思う。しかも顔が世の中に知れている点は特殊と言っていいと思う。

綱渡りのように何が危ないかを学ぶ方法は危ないから、多くのアスリートは世間と距離を置き安全な世界を生きるようになり、社会との接点が少なくなる。そして世間知らずは加速していく。狙われる人生をどう生きればいいのかを教えてくれる人はどこにいたのだろうか。