Thinking In The Past.

なぜ日本の練習時間は長いのか

2016.10.08

[:ja]10000時間の法則を唱えた、エリクソン・アンダースは著書の中でどんな一流の人も一定時間それに費やした時間があると言っている。少し意見が違うところはありながら、スポーツは体が勝手に動く必要があって、そこに至るまではひたすらな反復しかないのは確かにそうだと思う。

日本の練習時間が長い1番の理由は突き詰めれば、何かをできるようになるのは体で覚えるしかないと思っているからだと思う。体で覚える世界は、体がどれだけの回数、時間それをやったのかが重要だという世界で、確かに英語を喋ったり何かを記憶する世界はそのやり方が正しい。毎日しゃべれば英語もうまくなる。

量さえ積めばたとえ才能がない人でもある程度にはなれる。日本は皆をある程度のレベルにするシステムは秀逸で、それは全員に本人の意思量とは関係なく、量を積ませる仕組みが出来上がっているからだと思う。

一方で、もっと効率よくしたり、頭で理解するということは反復では到達できない。日本のスポーツで練習時間が長いのは身体を動かし、反復し、身体で覚えるということ以外のバリューを低く見積もっているからだと思う。どういう戦略にすべきか、個々人はどういう動きをすべきか、そのための練習はどうすべきかを考えることに価値を置くと、何が重要かを議論したり思考することに時間が費やされる。頭の中を占拠している割合は変わらないにしても、身体を動かしている時間は短くなる。

昔、実業団に進んだ選手が急にレベルがあがるという現象があって、興味を持って調べたことがある。当時は実業団選手はよくて昼までの勤務、条件が悪いと17時まで勤務がありそのあと練習をするやり方だった。練習時間は明らかに大学生の時よりも少なくなる。競技力が伸びている選手の多くが口にしたのは、”考えて練習するようになりました”というものだった。1時間しかなければ最も重要なものは何かを考えるが、時間に限界がなければ、大事そうなものを満足いくまでやるというやり方になる。

人の教育観は個々人の成功体験から導き出されることが多い。結果、指導者層がどんな成功体験を持っているかで、練習時間の長さは影響を受ける。体で覚えて強くなった人は、体で学ばせる傾向にある。

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